下記の文章は、今夏(8月16日~8月24日)中国・西安から敦煌を訪ねた折の覚書の如き物です。滞在中、私どもの旅に旅に随行してくれた新聞社への寄稿として帰国直前に感想文的に取りまとめた文章です。全体を書き記したわけではありませんが、非常に学ぶところの多かった旅の総括として記載します。
森岡由利子
西安から敦煌への旅
「西安、良い街ですよ…行きませんか?」との友人の堀夫妻の言葉に「西安…昔の長安…。一度行きたいと思っていた所!行きましょう!!」と誘いに乗り今回の旅となりました。
先づは私共の仕事に関わる耀州窯の発生から現代までを見たいとの思いがあり、加えて半坡遺跡という仰韶文化発祥の地を訪ね、さらに日本仏教の祖としての寺院群を見ようとも思っていました。半坡遺跡は、旧石器時代からの住居跡と共に土器製作の遺構も残されているとの知識はありましたが、日本にも技術が伝わっていた須恵器の焼成の初期的な作業がなされていたことを、発掘品からも確認出来ました。
耀州窯は長い歴史の中で時代により技術の変遷もあり、今回の旅でその流れを見ることが出来ました。
7泊8日の短い期間でしたが、訪れた博物館・美術館全てで詳細な解説をして頂き、厖大な量の収蔵品を見ることが出来ました。時には個人のお宅で、コレクションにじかに触れる機会もあり、博物館等の展示を見ただけでは不可能な「重量、轆轤作業の工程、窯詰の実際」など実物の全体を見なければ確認できない細かな点が判ったという事は非常に大きなことでした。
これらは堀夫妻の知人である、西北大学の岳鈺教授が尽力して下さったおかげで可能となったことでした。岳氏は西北大学で仏教美術を中心に研究なさっていて、大学内に氏の美術館も持たれている、現代の仏教界では世界的に有名な方であり、氏の仏画作品の展示も見せていただきました。仏典に忠実でありながら、氏独自の表現もされている仏画群は、印象深いものでした。人へのまなざしの優しさにも心打たれるものがありました。
数多の古窯跡や仏教遺跡を有する中国のほんの少しだけを垣間見た旅でしたが、敦煌にも足を運び、莫高窟を見、日本に伝わった仏教思想と仏教美術の源流の如き物にも接することが出来、日本の各寺院に残されている壁画や仏像を理解するのに大いに参考になった旅でした。
これは中国側からの依頼で、簡単にまとめた感想です。
中国の仏教が日本に与えた影響は
インドで釈迦によって生み出された仏教思想は、シルクロードを経て中国に入り、今日まで多くの人の精神に影響を与えている。日本にもあまたの僧の努力で経典が持ち込まれ、全国に広まり、今日まで続いている。中国の仏教は、道教の思想も混ざりながら先祖崇拝や現世の苦からの解脱を希い、それは日本の八百万の神々を畏れ敬いながらも仏教に心を寄せる形と似通っているように思われる。
今回の旅で見た寺院や博物館に収蔵されている仏画・仏像群は、日本の古寺に納められているそれと酷似していて、やはり中国が日本仏教の故郷であるとの感を強くした。
とりわけ敦煌莫高窟の壁面に描かれた仏画は、日本の奈良の古寺に非常に類似点があり、その源をキジル石窟(庫車)にまで遡ることが出来、長い年月をかけて長安から日本へと仏教伝来の道というものを感じ取ることが出来る。
とっくりの削り、白化粧掛けをしました。奄美大島の友人から今度の台風の風は半端じゃないよと連絡があり、薪小屋のトタン屋根の上に板を打ち付けたり破風板つけたりと、前から気になっていた所を頑丈にしました。